文化農場記

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2011/03/28 Mon  18:18:33 » E d i t

 » 「福bookろ」(ふくぶくろ)プロジェクト・スタート 

「偶然獲得本楽場」:ヒトとホンの ぐうぜんのであいを たのしむば という試みを行います。

ヒトに会うのも、本に出会うのも、目的的でない方が断然楽しい。ヒトとホンが一つになって出会ったら意外な世界に出会うかもしれない。
妄想読書部を行って入る中から生まれたアイディアを形にしてみました。
「book off」の新形態ではないので、お間違いなきよう。
詳しくは、添付チラシをよーくお読みください。あれ~、へぇ~というホンが「福ぶくろ」から登場するのをご一緒に愉しみませんか?

●開催日時:2011年4月8日(金)19:00~22:00
●場所:文化農場
●参加方法:お気に入りの本(福)をペーパーバックに3~5冊入れて持ち寄って下さい。
      本(福)を交換しましょう。
      参加ご希望の方は事前にご連絡を。

詳細は、以下のチラシを参照。

110316福Bookろ
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2011/03/28 Mon  18:07:00 » E d i t

 » 「この春」に高野聖を読む:妄想読書部 

“この春”に、妄想読書部は泉鏡花「高野聖」をとりあげました。参加者9名。
大阪から700㌔余のところに、目に見える苦しみと、見えない恐怖にさらされる人々や風景が満ち
あふれる時、100年以上も読み継がれている幻想・怪奇小説をどう読むのか?
果たして読書会は成立する?とナビゲーターの心配は杞憂に終わり、いやいや、参加者の妄想は被災地と
いまここを往還しながら炸裂していました。
詳しくは、記録担当のあずさちゃんメモで近日公開!
妄想読書部の取り上げるテキストは、現代・古典、まぜこぜ気の向くまま。共通するのは
「今、役に立たないホン」ということ。次回は、妄想するおんな「岡本かの子」。どのホンをとりあげるかは
後日お知らせします。(はしもと)
2011/03/03 Thu  20:16:56 » E d i t

 » 空庭で「物理学と神」を読む 

2月の読書部は「谷町空庭http://www.soraniwa.net/tanimatisoraniwa.htm」で開催。場所を変えるのもいいですねぇ。街中にこんなほっこりスペースがあるのは素敵。読書部復帰の岩田さんも含め参加者10名。若者も3名、いや失礼4名。今回のレポートは、くじ引きで当たった高木さんが書いてくれました。
次回は、文化農場開設2周年企画と絡めてちょっと楽しい企画ですよ~。お楽しみに。はしもと


「物理学と神」(池内了著)を読む…の報告
 テキスト決定時から口々に発せられていた「数字が苦手」や「文系には…」という声に答えて、まずナビゲーターの松本さんから「読み易かったか、読みにくかったかについて、理由をつけて答えよ」という指令が出た。

多くの人が、「『はじめに』で挫折後1章、2章と進めるうちに読み易くはなった。」とはいいつつ結果は全員が「読みにくい」。なおかつ「読んだ後に何も残らない」という意見も…ということは、何も話すことが無いのか?と思えばそんな気配は全くなく、閉店時刻を過ぎてもまだ議論が続くという展開となった。

 前述の指令の流れから、この本の「読みにくさ」についてである。数式が無くて読み易かった「文系」派と数式が無くて読みにくかった「理系」派に分かれて、物理学の説明に必要なのはイマジネーションか数式か…結果的には著者が良かれと思った文学的表現が誰に対してもうまく作用せず、それが冒頭での「読みにくさ」、それを各自が割り切った(?)後半の「読み易さ」に変化したと思われた。

次に話題になったのが、著者が対象とした「神」についてである。この本の「神」の扱い方が曖昧であることは、ほぼ全員が共通に感じていた。著者がひもとく「物理学」の流れの大半がキリスト教の「神」であることは、ピックアップされた物理学者から想像できるのだが、最終章に近づくにつれ「八百万の神」や「仏」が同次元に扱われる。結局どんな「神」を想定したのか?ここから各自の思考がと妄想が拡大する。

「神とは創造主である」→「神とは人知を超えたものである」→「神とは理解できないものである」→「創造主としての神の他に人間的神がいる(アインシュタインがそうだった?)」→「人間的神といってもモラルとは無関係である」→「モラルは全て人間が決める」→「モラルは習慣なので時代や技術によって変わる」→「モラルは建前的になる」…

 結果的に「神」が何処に向かいたいかはわからなかったが、各々の背後で囁く「神」の主張が随所に現れていた。これぞ八百万の神の酒宴…だったのかもしれない?


 高木恭子記

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